丸日記

丸海てらむの日記です

シンエヴァ見ました

丸海てらむです。ようやく見ました。

 

何ていうか。面白かったんだけど、元々自分が「シンエヴァ出るらしいからそれに合わせて序破Qからエヴァ見始めよう」って入ったにわかなので、何年もずっとシリーズを追っていた人に比べるとちょっと何か語る資格が足りないような気はする。

 

しかしまあ久々の映画館だった。映画館はなんか丁寧な感じがしていいですね。広告も控えめで、なんか広々としていて、落ち着いた空間で、人生が大事にされているという気分になる。

男友達二人との合計三人で行きました。これも半年ぶりくらいに会うメンバーなのでそもそもが楽しい。

シンエヴァだし三人集まってるしといろいろ特別感あって、せっかくだしなんか食べ物を買おうということになった。チュリトスを買う友人がおり、ポップコーンを買うものもあり、自分もポップコーンを食うことにした。ドリンクとのセットが安かったのでそれにした。そしてクソデカいポップコーン(キャラメル)とドリンク(M)を抱えて映画を見始め、ドリンクがでかすぎて最後の最後のシーンでトイレに行ってしまいちょっと見れなかった部分があったのでした。嗚呼。

 

ということで一番良いシーンを見逃しているのがヤバいんだけど、それはそれとして感想をまあ書いていきます。

 

 

 

 

まず総評

超面白かったです。もうなんかわけもわからずずっと見ていて、正直理解が追い付かない部分もけっこうあるんだけど(加持さんがやってた種の保存ってなんだあれとか、無数にエヴァがいっぱいいるのは何なんだとか、人類補完計画ってわかったようなわかってないようなとか)、もうすごい映像、すごい場面の連続で、ずっとすごかった(語彙力消滅)。眠気と疲れで何も言えねえ。

エヴァの機体はかっこいいし(特にアスカとマリのエヴァは壊れたとこに新しいパーツつけて修復してるらしい)、腕がぐるぐる回ったりでかい機関銃をぶっ放して無数のエヴァを星屑に変えていくのはもう爽快感がすごい。まずねえ、でかいものがものすごい速さで動いていて、自分の重さによる慣性に振り回されながらそれも計算してぐわんぐわん動き回っている、という映像を見てるだけで感動する。ちゃんと重そうなのだ。

面白かったというのを先に言っておきます。何がというのは説明できなくても良いまである。芸術ってそれでいい気がする。何がどうとはうまく言えないけど、ゲンドウや綾波やシンジくんやみんなの顔を見るたびに僕はこの物語を思い出して胸がいっぱいになってため息をつくだろうし、劇中のシーンを思い返しては、そのとき思った感情をも何度でも思い出せる。

それっぽい評論を読むと「自分はこの人より作品を理解しているだろうか?」と負い目を感じたりすることがあるんだけど、実は全然気にする必要はなくて、自分が何か感想を持ったり心を動かされたのなら、それが説明できなくてもそれはちゃんと自分の思い出なのだ。

 

で個別のシーンについてなんか書きます。

 

 

ゲンドウくんについて

『Q』までを見て、ゲンドウの最終目的はどうもユイと再会することっぽいけど、たったそれだけのために世界を巻き込んで何年も計画を立てて部下を騙してってやるもんだろうか、ほんとはもっと大きな目的があるんじゃないか? と思っていた。ユイに会うため、ってのがそんなに大きい理由になるだろうか。

で『シン』の最後のほうでシンジくんと精神世界で対面するシーン、ゲンドウの回想が入った。昔から孤独だった、ピアノと知識だけが救いだったみたいな。ユイに会って初めて生きることが楽しいと思った、ユイを失って初めて孤独の苦しさを知った、とか。ものすごい速さで場面が転換して、スケッチのような絵で描かれていく。ゲンドウが一人で喋り続ける。見ている人は初めて知ることだらけなわけで、それをこんな速さでやってもちゃんと理解できるのがかなりすごい。あのシーンほんの数分くらいだったはずなのに、終わってみればもうすっかりゲンドウのことをかわいそうだと思っている自分がいる。絵の効果が大きいのかな。

このシーンを見て終わってみれば、それだけユイに執着するのも無理ないかもしれないと思った。ユイはゲンドウにとって人生の全てだったのだ。世界の全てだった。生きる理由そのものだったのだ。

幼少期からゲンドウの人生を一通り見せられて、ついさっきまで「世界を滅ぼそうとする悪人」だった人が、自分の中で「一人の寂しい人間」って印象にすっかり変わってしまった。と同時に眼鏡だかサングラス越しに眼が見えて、そうだこの眼だ。序から思ってたけどとても悪人の眼じゃないのだ。どれだけゲンドウがシンジくんに酷いセリフを言っても、冷たい声であしらっても、たまにその眼を見るとどうも悪い人間には思えない。すごいアニメだよ。

個人的にゲンドウと自分の父親を重ねてしまう。今までずっと謎のラスボスだったゲンドウが、一人の人間としてつらさとか過去を吐露するこのシーンで、ああほんとにエヴァ終わるんだ、って思った。駅でシンジを置いて去るシーンで、戻ってきてシンジを抱きしめながら謝ったの見て、めっちゃ泣いた。

アスカとシンジくん、ミサトさん

始まってからずっと固まって何もしないシンジくん。トウジに話しかけられても返事をしない、食事を出されても手を付けない、部屋の隅でじっとうずくまっている。おじさんに「黙ってるのはいいとしても出されたものを食わないのは失礼だ!」と怒鳴られても、顔を上げることすらしない、全く反応しないでいる。眼鏡の同級生(名前忘れてたけどケンスケか)に優しくされても何も言わない。

翌朝、アスカがシンジに話しかけたとき、また首のDSSチョーカーを見てカヲルくんのことを思い出して嘔吐する。アスカはシンジに掴みかかって、そこに無理矢理レーションを押し込んで食わせる。作画がぐわんぐわん動いて、殴ってるんじゃないかという感じすらする。アスカはなんかすごく怒ってて、このときいろんなことを喋っている。「私がなんであんたを殴りたかったか考えてよ」みたいなことを言っていた。後半で答え合わせがある、シンジくんは「アスカが三号機で使徒に取り込まれたとき、僕が助けるか殺すか自分で何も選ばなかったから」と答えて、どうやらそれが正解だったらしい。でマリが「彼に必要なのは恋人じゃなくて母親」みたいなことを言っていた。セリフ合ってるかな。

あとアスカが「あんたのこと好きだった」って言ってるように、感情を露わにしたり自分をわかってほしいって思うあたり相当シンジくんに心を寄せているようなんだけど、シンジくんはそれを受け止めきれないというか、彼はアスカを理解したり助けたりできるほどまだ大人じゃないのだ。シンジくん自身が、まだ助けを求めている。

でシンジくんを守ってくれるのはミサトさんなのだ。彼を信じて船に乗せてくれて、鈴原サクラの銃弾から守ってくれて、「彼は私の管理下にあります」「私が全責任を持ちます」と庇ってくれる。きっと、「エヴァに乗ります」って言いだしたときはまだシンジくんも不安ながらだったろうが、このミサトさんの発言以降、真っすぐ胸を張っている感じがする。

このあたりの描写が。すごかったです(最後の最後で語彙力を失う)。

 

ネルフ跡地のシンジくんと、二年前くらいまでの自分

時系列ぐちゃぐちゃだけど気にしない。

冒頭始まってしばらく、Qと同じように自分はけっこうぽかんとしていた。何だこの村は、トウジもケンスケも大人になっている。トウジ子供おんのかい、というか医者になったのか。同級生が医者ってなんか劣等感煽られるくないですか。シンジくんからしたらもう自分は何したらいいかわからんし何もできないし、自分のせいで世界がめちゃくちゃになってしまった、対してトウジは医者になってみんなを助けてみんなに頼られている。この差を。

アスカにボコボコにされてから(殴られたわけじゃないんだけど)一人どっか行って、しばらくネルフ跡地で過ごすシンジくん。相当な日数が経ってそうだ。誰とも話さない、本当に閉じこもっている。対して綾波(かわからんけど綾波と呼びます)は初日からどんどん村の人と打ち解けていく。このへんの対比があれだ。綾波がどんどん離れていってしまう感じがして寂しくて、でもシンジくんに会いにきてもくれるのだ。

ニートだったころの自分によく似ている。

「どうしてみんなそんなに優しいんだよ! 放っておいてくれよ」って言うシーン、ここで完全に自分と重なってめちゃくちゃ泣いた。もうねえ、全く同じ気持ちになったことがあると思う。なんでみんなこんなに優しいんでしょうか。みんなが僕を引き戻してくれた。生きていていいんだと思えたのだ。ご飯奢ってくれて話聞いてくれた友人というか親友というか、全員名前を挙げるのはあれだけど、あのときから自分に関わってくれた人、今も自分と話してくれる人、誰かと話すたび、自分もこの人と同じ人間なんだ、仲間なんだ、ここで生きていていいんだ、と思う。また泣けてきた。あのころほんとに一人になりたかった。自分みたいな人間はいても迷惑をかけるだけだから、誰とも関わる資格がないんだから、とほんとに思ってた。差し伸べる手はあったけどそれをいくつも振り払って、それでも会いに来てくれたり、たまに会えばただ生きてるだけで何故かちょっと喜んでもらえて、なんでみんなそんなに優しいんですか。

そんなわけでこのシーンが一番心に残っているかもしれない。個人的に。

そういやこの直後に「名前決めたよ、やっぱり綾波だ」って言ってすぐ爆散するのかなり悲しい。映像で目の前で爆散する様を見せられるので本当にショックだった。

 

さいごに 

あんまり長々書いてもしょうがないので締めます。

正直一回通して見ただけだからまだ消化しきれてないとこがいっぱいある。特に最後トイレ行っちゃって見れなかった部分とか。一番大事なとこだぞ。最後すごい速度で流れていったアスカとカヲルくんとレイの回想とか、あのへん何度も見返して整理して考えたい。

物語もちゃんと完結したはずなんだけど、最後気づいたら現実世界にいて、マリっぽい人とシンジくんっぽいけど声が違う人がスーツ着てたりした。早く二回目を見直したい。アマプラに来るはずなんだけどそれを待つのか、何ならもっかい見に行くのか。友人にマリ推しのすごいファンがいて、もう五回か十回くらいシンエヴァを見ているらしい。見る前はそれはさすがにやりすぎでしょと思ってたけど、今ならわからんでもない。

あと音楽がよかった。語彙力がなくて良かったとしか言えねえ。

マリがまたビーストモードになってたり、アスカが眼帯外して苦しみながら使徒の力を引き出すシーンとか、あのへんめっちゃかっこよかった。痛みに耐える姿。歪んだ嗜好かもしれない。

あとなんかえっちなシーン多くなかったですか。シーンというか絵面が。まあエヴァってずっとそうか。プラグスーツがそもそも。性との向き合い方みたいなのもテーマの一つなのかもしれない。笑い話にするのは簡単だけど、けっこう真面目に考えると難しい話だ。これも含めて、親子関係も含めて、エヴァを通じて我々個人の人生と向き合えるみたいな側面がある。機能する芸術。見て楽しいだけじゃなくて、個人にとって意味のある作品。

評論ぽいこと言うか。ちょっと前まではアニメやゲームや漫画は低俗だから読書をせよみたいな空気があったというか学校教育にそんな空気があったり自分の家がちょっとそうだったりしたんだけど、エヴァを見ると、扱ってるテーマとか描き方とか作品の立ち位置とか、もう芸術そのものだろうと思う。文学は死んだんじゃなくて形を変えて生きている。教えてもらって答えを享受するんじゃなく、登場人物が自ら困って向き合うのを追体験する形で。たぶん監督自身もだ。よくある問題提起とか言って誰かに課題を負わせるんじゃなくて、自分で自分の背負っていう問題を見つめるという形で。我々はエヴァを見て、自然と自分の人生について考え始めている。「アニメに意味はあるか?」「アニメに価値はあるか?」ある。僕の人生に意味があるように、僕に価値があるように。誰にもある。シンジくんにもある。ゲンドウにもある。だから彼らが悩み戦う姿には意味があるし価値があるに決まっているのだ。もうエヴァは社会的地位を得ているから今更言う必要がないというか今だから自分も言えるんだろうけど、人間に価値がある限り、人間を描いたアニメにも同じように価値がある。だから胸を張って好きだと言っていいのだ。これは今までアニメやゲームを好きだと言うのに罪悪感を感じていた自分自身に対して言っている。

 

なんか長くなってしまった。

 

またお別れだ、シンジくんやカヲルくんやみんなに会えなくなる。物語に救いを求めるたびに同じ数だけの別離に耐えなければならない。しばらく考察とかを読んで過ごそう。漫画版とかもいつか読むかもしれない。わからないけど。

 

まだ自分の中では終わったわけじゃないけど、ひとまずこれくらいで。

どんな形でもいいから、また新しいエヴァやみんなに会えないかな、とおまじないのように願いつつ、

今日のところは、さよならだ。