丸日記

丸海てらむの日記です

「藪の中」一晩考察

「藪の中」というオインクゲームスのボドゲをやった。めっちゃ面白かった。

そういえば芥川龍之介の小説にそんな話があって元ネタらしいよ、と聞いて読んでみようと思った。青空文庫にあって、案外短くてすぐ読めた。

www.aozora.gr.jp

ボドゲのほうの「藪の中」は、情報が非対称な中で行う推理ゲームという感じで、説明が難しいけどどうも芥川の小説も似たような感じらしい。ある事件をいろんな人物が語るんだけど、どうも話が食い違っている。一体真相はどうなのか、何が本当で誰が嘘を言っているのか、と散々議論されてきたらしい。

 

自分も気になって考えてみる。結局「藪の中」では何が起きていたのか。誰の言葉のどこまでが本当でどこからが嘘なのか。

真面目にやるなら先行研究とか読まなきゃいけないんだろうけど、めんどいので手持ちの主観だけで書いちゃう。

ちなみに元の小説読んでる前提で書くのでよろしくどうぞ。そんなに長くないのですぐ読めます。

 

 

 

大前提として。全員の発言を真だとするとあちこちで矛盾が埋まれるので、それぞれ何かしら嘘をついている。どこが嘘っぽくてどこが本当なのかを考えていくぞ。

嘘と本当を見分ける方法として「ありえなさそうなところは嘘っぽい」「語り手の得になりそうな部分は嘘っぽい」「語り手の利害に関係ないところは本当っぽい」「複数人が同じことを語っているところは本当っぽい」と考える。とりあえず。

論理クイズではなくて本当っぽさ嘘っぽさの濃淡を考える作業なので、まあふんわりいきます。

 

まず最初に思ったのが、盗人が「今度はおれの身の上だ。」と言って去ったのは、どうも本当のように思える。真砂が逃げて、盗人はもう真砂を手に入れることはできないな、と思うと今度は自分の身の危険を感じて逃げようとする場面。これは盗人本人もそう思ったと話しているし、侍の死霊もそう聞いたと語っていて一致している。ちょっと信憑性がある。ここはそこそこ本当っぽい。

それから「真砂が盗人から逃げた」というのも盗人と侍の間で共通する証言で、これもそこそこ信用してよさそう。盗人は「真砂に唆されて決闘していたら、いつの間にかいなくなっていた」、侍は「盗人に口説かれた真砂が、おれを殺すよう頼んだところ、盗人に軽蔑され、逃げた」と話している。経緯は食い違っているが真砂が逃げて盗人がそれを捕まえられなかったという点では共通している。ちょっと本当っぽい。

真砂が盗人の手から逃れた経緯は、真砂本人の証言では「盗人に蹴られて倒され、夫(侍)の冷たい目に蔑まれると、自分でも知らず何かを叫んでしまい、それきり気を失った。目が覚めると盗賊はいなかった」ということになっている。これはさすがに道理が通らないなと感じるので、盗賊が真砂を置いて去ったというのは嘘っぽい。その後夫と心中しようと二人で決めて、夫を殺すも自分は死にきれなかった、というのはいかにも美談というか、貞淑な妻という印象の受ける話なので、どうも嘘っぽい。ただ真砂の話にも真実っぽいところはある。こんな嘘つく理由はないよねという部分で、かつ盗賊や侍の話とも共通する部分である。「夫(侍)が真砂を、何とも言いようのない目で見ていた」「真砂が侍に蹴倒された」「真砂が何かを叫んだ」「あなた(侍)に恥を見られて、生きて残すわけにはいかない(と真砂は思っている)」部分である。このへんは真実だろう。嘘をつくときには真実を混ぜると良いと言う。まるっきりゼロから嘘をつくのは大変だけど、真実を語るときにちょっと細部を脚色してしまったり、自分の受け入れられない事実を都合の良いように記憶違いしてしまう、ということはよくある。この作品でそれぞれがついている嘘というのはそういう性質のものだろう。なので、そこまで都合が悪くない部分はそのまま語られている、はず。という前提で推理を進めている。

盗人の話を読み返すと、「真砂が盗人の腕に縋りついて、気狂いのように何かを頼んだ」のも共通している。盗賊の話では「二人で決闘して、生き残ったほうと添い遂げる」という内容で、侍の話では単に「夫(侍)を殺してくれ」という内容である。とても似ている。どっちが本当なのかは他にヒントがなくてわからない。

また、「盗人が真砂に惚れた」というのも盗人と侍の話で共通する点である。経緯はちょっと違っていて、盗賊は事を終えて去ろうとするところに真砂が縋りついてきて決闘を迫ってきて、そこで惚れたというようなことを言う。侍の話では、盗賊が真砂を口説き落としたということになっている。主体が真砂であるか盗賊であるかの違いである。

これはどっちがどっちにとって都合が悪いだろうか。侍の話を読むと、どうも盗賊のことをあまり憎んでいないようである。妻を汚して自分から奪い去ろうとする敵であるのに、それよりも自分を殺すように懇願する妻に対して憎悪を燃え滾らせているように見える。盗賊に「この女を殺すか? それとも助けてやるか?」と聞かれて、いや助けてやってくれ、と即答できず迷ってしまうくらいに。

なので、決闘を迫られた話を被害妄想的に拡大解釈して、自分を殺せと言っているように聞こえてしまった……というのは有り得る。うーん。

 

ここまでで本当っぽいと思われる要素を時系列順に並べてみるか。三人の話の齟齬が起き始めるところからである。盗人が二人をおびき出して、侍を括りつけ、真砂を襲った、というところまでは本当と見て良いだろう。

・事が終わる
・侍が真砂に目配せする
・盗人が真砂に惚れる
・真砂が盗人の腕に縋りついて、何かを言う
・盗人が真砂を蹴り倒し、真砂が何か叫ぶ
・真砂が盗人から逃げる
・盗人が「今度は俺の身の上だ。」と言って去る
・侍が死ぬ

まだよくわからない。

もうひとつヒントがある。この話には元ネタがあるのだ。今昔物語というなんか芥川よりもっと古い時代の古典作品で、似たような話があるのだ。「具妻行丹波国男 於大江山被縛語(妻を具して丹波国に行く男、大江山において縛らるること)」という題。芥川の話もこれが元ネタだろうと昔の偉い研究者の人が言っているらしい。詳細めんどうなので書けないが、大筋は似たような内容である。

旅する夫婦が途中で男と知り合い、夫はうまい話にのせられて茂みの中へ入っていき、縛られ、ただ見ているしかないという内容。結末は違って、その男は夫を殺さず去っていく。ほんとは殺してもいいんだが、女に免じて、ということで。当時女の着物には価値があるのでこういうとき奪っていくのが普通なんだけどそれもせず、馬と弓矢は奪っていくもそれだけですっぱり去っていく。妻は夫の縄をほどきながら、こんな頼りない夫ではこれから心配だ、と酷いことを言い、夫は何も言い返せない。という話。いやひどい。

ということで芥川の話に戻り、これがなんかヒントにならないかと考えてみる。

……けっこう違う点があるんだよな。元の話だと夫は生きていて、男のほうが去り、妻はまた夫と旅を再開している。妻が夫にひどいことを言うというのだけは共通している。目の前で妻を奪われ、弓矢と馬も奪われ、その妻にも馬鹿にされる、と男の尊厳破壊欲張りセットみたいな内容でまあよくこんな話書けたなと思うが、古典なので何なら実話かもしれない。ひどすぎる。

 

けっこう難しいかも。思いつくこと適当に書いてみよう。

盗人の言っている「決闘」はどうも嘘っぽい。真剣を持って20回も切り合えるものだろうか。真砂の要求に則って男二人真剣勝負の末に勝ち、気づけば女は逃げていた、というのはいかにも盗人の顔が立つ証言である。真砂も侍もこんなこと言っていないのでそこそこ嘘っぽい。真砂が去った経緯が本当は後ろめたいというか、盗人にとって格好がつかないのでこう言い換えた、というような気がする。侍が「今度はおれの身の上だ」という言葉を聞いていることからも、盗人は侍を殺さず生かしたまま逃げたように思われる。

ちょっと気になるのは弓矢の数である。事件前に侍を見た者は「二十あまり征矢をさしたのは」と話していて、盗人を捉えた者は「鷹の羽の征矢が十七本」と話している。数が減っている。いつどこで減ったか? 逃げた盗人が捕まるまでの間になんか動物を狩るために使ったかも、と思ったがゼルダじゃあるまいしそんなことするだろうか。

 

最大の問題は、侍を殺害した人物が誰なのかである。三択だ。侍か、盗人か、真砂か。面白いことにいずれも自分がやったと証言している。これがわかればすっきりするんだけど。何なら侍の殺害に関して、誰も真実を語っていないという説すらある。それが一番面白いかもしれない。全員にとって不名誉な死に方をしたもので、それぞれ勝手に都合の良い言い方をしている、というような。

凶器はどこにいった? 現場にはないらしい。誰かが持ち去ったのだ。盗人は太刀で刺し通した、侍と真砂は小刀で刺したと話している。これ描写からわかるだろうか、例えば傷のサイズからまあ小刀だろうとか。そもそも決闘がなかったっぽいので小刀のほうでいいだろう。

 

検索するといろいろな説が出てくる。最初の死体発見者の木こりが犯人だよ説とか。

そもそも思うのは、芥川はこの小説をどんなつもりで書いたのかということである。つまりちゃんと真相があるのか、それともないのか。真相があるとして、たどり着けるようになっているのか、なっていないのか。

個人的には、真相に辿り着けるようにできていないような気がする。真相が無いとはでは言わない。リアリティを出すために、細かい描写に決定的な齟齬が起きないように、本当はこういうことがあってこういう理由で各々勝手に美化して話している、という理屈は本人の中で筋が通っていると思う。ただしそれを推測するために必要な材料を全部提供しているかというと、そうでもない気がする。

この小説の目的というか主題は、「都合のいいように事実を曲げて話す人物たち、それによって三者三様に語られる話」だと思う。誰が本当かわからない、同じ話のはずが全然違って見える、一体誰が本当のことを言っているんだ? と思わせることが主題だと思う。でそれには完全に成功している。こんなに深く考え込まなくても、誰が犯人なんだろう、一体真相は何だったんだろう、と誰でも不思議な気持ちになる。この読後感は唯一無二である。わけわからんなと感じる作品は他にもあって、「ドグラ・マグラ」とか「向日葵の咲かない夏」とか「神様ゲーム」とかを思い出すけど(どれも一つもおすすめしないです)、芥川の「藪の中」は虚と現実の具合がちょうどいいなと思う。本文全部が嘘かもしれなかったらとても正気で読めない。地の文を疑い始めると本当に気が狂う。本作は、「その登場人物がそう発言した」というのは事実であると決まっていて、嘘の内容も本人の保身のためとか名誉のためとかだと当たりがついている。つまり妄想とか幻聴とかを考慮しなくていい。読者を混乱させるためじゃなくて、人間はどんなときにどう嘘をつくのか、そしてそれが組み合わさって不思議な見え方をする、という作品である。全然読める。

 

眠くて文章がまとまらない。要するに、考えても答えがわからないかもしれないと思った。むしろわからないほうが良い作品であるかもしれない。誰が犯人で何が真相なのか考えさせることが目的の小説なのでは。真相は芥川の中で決まっているかもしれないし、内容をうまく精査すればひとつに定めることができるかもしれないが、必ずしも真相がわかる必要はない。一生わからなくても、これが名作であることに変わりはない。

ということで、自分の結論はこうである。「とりあえずわからないし、真相に辿り着くために必要な描写が不足している可能性がある」。特に侍の殺害方法については全く不明である。

 

……もうちょっとだけ考え直してみるか。盗人との決闘で死んだのではないように思われる。たぶんそもそも決闘が起きていない。盗人が去るときに侍はまだ生きている。

というか、どういう結末だったら三者ともこんな嘘をつくだろうか。

盗人の決闘に関してはどうだろう、そもそも俺が殺したんじゃないぜと言えば済む話ではないのだろうか。それとも有名な盗人と言うだけあって他に余罪があってどうせ助からないので、最後にかっこいい嘘をついてみただけだろうか。これは有り得るぞ。ということで盗人はこの件は無罪だが、どうせ別件で死罪が決まっているので後半は適当喋っている、という説でいきます。わからんけど。

真砂はどうか。殺してないのに殺したって言うのはけっこうなことである。罪人かそうでないかの境目だ。「わたしはほとんど、夢うつつの内に、夫の縹の水干の胸へ、ずぶりと小刀を刺し通しました。」と言っているから、勘違いという可能性もなきにしもあらず。夢うつつでは。

気になるのは、盗人が真砂を蹴倒すところである。どうやったらそんなことになるんだ。ちょっと前まで口説いていたのではなかったのか。このあたりの経緯が気になる。

真砂の話では「夫を助けようと駆け寄ろうとしたら蹴倒された」、侍の話では「あの人を殺してください、と言ったところで蹴倒された」となっている。二つを足して割って、真砂自身がこの侍を刺しに来たのだとしたら? これどうだろう。

侍が自刃したと証言することにも、盗人が自分が殺したと話すことにも特にリスクはない。もとより死人と罪人である。ただし真砂が言うのは別である。無実の身から人殺しの罪人になるのはあまりにも話が大きい。真砂が刺したのは事実で、嘘をついているのは刺し方やその動機についてのみである、……と考えるのは真砂の理性を信じすぎているだろうか。自分の余生ぜんぶ棒に振ってまでも、惨めに生きるよりロマンチックに縄打たれたいと思うものだろうか。

 

真砂が侍を刺した、と考えるとちょっとまあ納得できなくもない。「転ぶように走り寄りました」というところで実際に転んだとか。例えば盗人が真砂を口説き落とした後(盗人の話では真砂から縋りついてきて決闘を迫られたことになっているが、美人に言い寄られるというのは男にとって都合よすぎるのでこっちは嘘だろうと思う)、盗人についていくのはいいけど侍を殺してください、と真砂が言って、盗人が渋るので(男を殺すつもりはなかったのです、と本人も言っているのでそうなんじゃないか)、いっそ自分がと真砂が駆け寄ったところ、つまづいて転び、拍子に小刀が侍に刺さってしまった。そこで驚いて真砂は声を上げて、やってしまった、と逃げる。盗人はそれを捕まえようとするも、逃げられ、仕方がないので自分だけでも逃げた、というのはどうだろうか。で、侍は真砂が逃げ盗人が逃げるのを、刺されて死ぬまでの朧げな意識で見ている。

 

小刀を抜いたのは誰か? 盗人は逃げ真砂も逃げ、死んでしまっては侍も自分では抜けない、しかし小刀は現場にない。

真砂が戻ってきて抜いたのではないか。……うーん。現場に戻ってきて自分が刺した証拠に触れて引き抜く、とまでできたらまあまあ現実に向き合えてそうな気がする。それにしては証言が嘘八百すぎる。

それに「盗人に蹴倒された」と思いっきり書いてあるところを単に転んだと解釈するのは飛躍が過ぎるだろうか。

 

わからん。しかし少なくとも真砂なんじゃないかと思う。自分が刺したと話す動機が他に見当たらない。盗人はどうせ罪人なので殺人ひとつ増えたところで変わらない、そこでお前が殺したんだろと言われたらそうさと脚色して自分が決闘の末に勝ったことにしてしまいたいというのはわかる。侍のほうは不名誉な死に方をしたのでまだ武士らしく自刃したというのはわかる。どうせ死んでいるので死に方が何であろうと今更困ることはない。

真砂だけは別である。どんなひどい現実でも、人を殺したよりは殺してないほうがさすがにましなんじゃないか。脚色した後でなお刺したと認めているということは、もっと酷い殺し方だったのをマシな殺し方に言い換えた、と見るのが自然なのでは。

盗人に靡いて元夫を刺し殺そうとした、というのを、貞操を奪われたので夫の同意のもとで心中を試みた、と言えばまだマシに聞こえるような気もする。

あと真砂が盗人に心奪われていたのは本当のように思われる。それが真砂からなのか、盗人に口説かれてなのかは相違があるが、真砂が隠したかった点のひとつなのでは。

では侍はなぜ自刃したなんて嘘をつくのか。真砂が憎いなら正直に話して彼女を人殺しとして裁いてもらえばよいのではなかろうか。

 

「盗人が真砂を口説き落として、去り際、真砂は侍を殺そうと盗人に頼んだ。盗人が渋るので、真砂は自分で殺そうと侍に駆け寄るも、盗人に蹴り倒され阻止された。その際小刀を落とす。驚いて真砂は逃げる、盗人はそれを逃がしてしまう。盗人は侍の縄を切って去る。残された侍は絶望の中でひとり、真砂が落とした小刀で自刃する。死ぬ間際、真砂が戻ってきて小刀を抜く。自分が殺したも同然だと真砂は罪を被ることにするが、詳細は脚色して語る」

……というのがそこそこすっきりしそう。要するに最後の侍の話は全部真実だとする。ただ真砂が蹴り倒された理由だけが新解釈というか、自分の後付けというか飛躍である。自分を刺し殺そうとしたところを盗人が阻止してくれた。真砂は盗人に見放されたことや、自分が夫を殺そうとしたという事実にショックを受けて逃げる。このあたりの描写が薄いのでこう補完というか妄想すればまあ筋は通らんでもない。

小説としても、最後に語られるのが真実であるとするとまあすっきりする。これどうでしょう。

 

三者の矛盾については、盗人は自分がかっこよく見えるように適当言っているとする。自分が口説いたのではなく真砂のほうから縋り寄ってきたとして、侍が死んだ理由はなんだかわからないが、殺さんでいいものを女が殺そうと言うのを止め、でも結局死んだのはなんでかわかんないねと言うこともできるが、まあ自分が疑われてるのでそうだぜ俺が倒してやったとする。

真砂についてはちょっとでも見え方の良い方法で話している。厳密には侍の自刃であって自分が殺したのではないが、殺そうと提案して自分でも試みたけど結局失敗したので自分じゃないです、戻ってきたら死んでましたなんて言っても誰も信じない。なぜ自刃なぞするのだ、自分が盗人に靡いたからかもしれませんなんてなお言えない。一度殺そうとして、結局蹴り倒されて失敗したとしても、真砂にとっては自分は夫を殺した者も同然なのだ。そこでまだ世間体がましなような見え方で裁かれようとしている。誰のためというわけでもなく、自分を騙すために。

侍についてはほぼ真実を語っているとする。「あの女はどうするつもりだ? 殺すか、それとも助けてやるか? 返事はただ頷けば好い。殺すか?」のくだりだけ不思議である。これも本当にあったことだろう。真砂が逃げたのは、単に自分が殺されると思ったからかもしれない。なおさらひどい。

というか、盗人が真砂を蹴り倒した理由がわからなくて「真砂が侍を刺し殺そうとしたから」って理由をつけてみたけど、別にそんなんなくても成立するかもしれない。

「あの人を殺して下さい。」――この言葉は嵐のように、今でも遠い闇の底へ、まっ逆様さかさまにおれを吹き落そうとする。一度でもこのくらい憎むべき言葉が、人間の口を出た事があろうか? 一度でもこのくらいのろわしい言葉が、人間の耳に触れた事があろうか? 一度でもこのくらい、――(突然ほとばしるごとき嘲笑ちょうしょう)その言葉を聞いた時は、盗人さえ色を失ってしまった。「あの人を殺して下さい。」――妻はそう叫びながら、盗人の腕にすがっている。盗人はじっと妻を見たまま、殺すとも殺さぬとも返事をしない。――と思うか思わない内に、妻は竹の落葉の上へ、ただ一蹴りに蹴倒けたおされた、(ふたたび迸るごとき嘲笑)盗人は静かに両腕を組むと、おれの姿へ眼をやった。「あの女はどうするつもりだ?……

これ、解釈とか補足とかなしに成立してるかもしれない。最初読んだときは突飛だなと思ったけど。盗人のほうは、自分の目撃情報など検非違使に伝えられて足がつく恐れがあるのに、最初侍を見逃そうとしているのだ。殺すつもりはないと本人も言っている。たぶんそれは本当なんである。むやみに人を殺すものではない。それをこの女は、自分の恥のためだけについさっきまで夫だった男を殺そうとしている。それも自分の手を汚さずに。そんな簡単に何度も言えるものではない、いくら頼んだってできるものではない。そりゃあ「盗人さえ色を失って」しまうのも納得かもしれない。自分の危険もあるけど情けで生かしておいてやろう、と決めた男を、もっとくだらない利己的な理由で「殺してくれ」とうるさくせがまれたら何だこいつはと思うのもわかるかもしれない。

ついさっきまで口説いてた美人の女性を蹴り倒すか? と思ってたけど、これはさすがにそれほどのことかも。あと男は釣った魚に餌をやらないというか、自分のものになったと思うと急に興味が失せてしまう生き物なので(どうしようもない)、自分の腕に縋ってくるのを見てそれもあって急に嫌になったのかもしれない。「盗人はじっと妻を見たまま、殺すとも殺すとも殺さぬとも返事をしない。」というあたりで心情の変化を描写しているような気がする。ここで盗人が急速に心変わりしているというか、なんだこの女ってドン引きしている可能性がある。

で蹴り倒して、侍のほうに向きなおる。「あの女」と呼ぶのがちょっと言い過ぎというか、そんな酷い言い方するか? とも思ったけど、まあギリギリわからんでもない。

 

ということでこれが一番自然というか、ありえそうな結末では。

つまり「藪の中」の真相はどうなのか。自分の結論、侍の話が真実である。侍は失意の中で自刃した。盗人は元々有名な盗人で、どうせ捕まったら極刑は覚悟しているので殺しも名誉のひとつと自分のものにしてしまった。真砂はとても真相を話せないし、殺してくれと頼みもしたんだから結果が自刃でも自分が殺したものだと思っている。それで細部は脚色しても自分が罪を背負うつもりでいるし、「夫を殺して盗人の手籠めに遭い、一体わたしは……」と言っている部分は心情的には真実なんである。

 

ただし最後に救いがある。真砂は最後に現場に戻って、侍の胸から小刀を抜いてやっている。最期を看取ってあげたはずである。

真砂はなぜ侍を殺してくれと頼んだか? 自分を蔑む目が恐ろしかったからというのもひとつだろうと思う。

冒頭、縄の傍に櫛がひとつ落ちていると書いてある。これは盗人との行為で落ちたものとばかり思っていたが、戻ってきた真砂が遺体に供えたものと見ることもできなくもない。

喋れないように侍の口には笹の葉が噛ませてあったはずだが、発見時にはそれもない。真砂が取り除いてあげたのかもしれない。

それから、副題がそれぞれついているがほとんどが「~の物語」となっているのに対して盗人のものは「多襄丸の白状」、真砂のものは「清水寺に来れる女の懺悔」となっている。最後の侍のものは「巫女の口を借りたる死霊の物語」。物語とついているものは全てその者が知りえる真実、盗人の白状と真砂の懺悔には脚色が含まれる、とすると一貫性がある。

 

これけっこう良い解釈かも。簡単だ。まず物語を読み進め、盗人のところでわあそんな話があったんだとなり、真砂のところでおい全然話違うじゃねえかとなり、最後に侍のところを読んでなるほどこれが真相か、と解決するはずだったのでは。それがなんかうまいこと伝わらず、三者のうち一体誰が真実なんだと疑心暗鬼にみんななってしまったとか。わからんけどさ。

 

どうでしょうか。3時間半、一晩弱で考えたにしては良いのでは。あまりも平凡な結論に来た気がするが。そんなにおかしな点はない気がする。当たり前すぎてつまらないが。

物語ってついてるやつが真実でふたりの白状と懺悔はそれぞれの脚色がある、というのはなんか説得力ありそうだなと思う。これが一番大きいかも。

 

……なんの話だっけ? オインクゲームスの「藪の中」、めっちゃ面白いのでおすすめです。

 

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