丸日記

丸海てらむの日記です

はしょれメロス

 メロスは怒た。王を除かなければ。メロスは敏感であった。きょう村を出、野山越え、シラクスに来た。父も母も女房も無い。妹と二人暮しだ。妹は近々結婚式である。メロスは衣裳や御馳走を買いに来た。先ず、買い、それからぶらぶら歩いた。メロスには竹馬の友があった。ヌンティである。石工をしている。その友を、これから訪ねてみるつもりなの。楽しみ。歩いているうちにメロスは、まちの様子を怪しく思った。既日落、暗、市全体寂。不安。若い衆に質問した。若い衆は答えなかった。しばらく歩いて老爺ろうやに逢い、こんどは勢を強くしてメロスは両手で老爺のからだをぶった。老爺は、ばか低声で答えた。
「王様は、人を殺します。」
「なぜ。」
「悪心を抱いている、という。」
「たくさんか。」
「はい、はじめは王様の妹婿さまを。それから、御自身のお世嗣よつぎ、妹さま、妹さまの御子さま、皇后さま、賢臣のアレキス様を。」
「おい。国王は乱心か。」
「いいえ。人を信ずる事が出来ぬ、と。このごろは、臣下の心をも疑いになり、派手な暮しをしている者はひとりずつ十字架にかけられて六人殺されました。」
 聞いて、メロスは怒た。「あきれた王ぬ。」
 メロスは単純な男で、のそのそ王城にはいった。たちまち彼は巡邏じゅんらの警吏に捕縛され調べられ懐中からは短剣が出て来たので騒ぎが大きくなって王の前に引き出された。
「この短刀何!」暴君ディオニス蒼白そうはくで、眉間みけんしわは深かった。
「市を暴君から救うのだ。」とメロスは答えた。
「おまえがか?」王は笑った。「仕方の無いやつじゃの。」
「言うな!」とメロス。「人の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だえ。」
「疑うのが正当の心構えなの。人の心は信じてはならぬ。」暴君は落着いて「わしだって平和を望んでいるの。」
「なんの為の平和だの。」こんどはメロスが笑った。「罪の無い人を殺して、何が平和だ。」
「だまれ、下賤げせんちゅ者。」王は顔を挙げた。「口ではどんな事でも言える。わしには、人の腹の奥が見え透いてならぬ。おまえだって、いまにはりつけになったって聞かぬぞ。」
「ああ、王は悧巧りこうだ。自惚うぬぼれているがよい。私はちゃんと死ぬ覚悟で居るのに。命乞いなど決してしない。ただ、――」と足もとに視線を落し、「ただ、処刑まで三日間の日限を下さい。妹に結婚式を挙げさせ、帰って来ます。」
「ばかな。」と暴君は笑った。「とんでもないわい。逃がした小鳥が帰って来るか。」
「そうです。」メロスは必死で言った。「三日間だけ許して。妹が私を待っているの。そんなになら、よろしい、この市にヌンティという石工がいます。私の友人だ。あれを置いて行こう。私が逃げてしまったら、あの友人を殺して下さいたのむ。」
 それを聞いて王は北叟笑ほくそえんだ。生意気なことを。どうせ帰って来ない。この嘘つきにだまされた振りして、身代りの男を、三日目に殺してやる。人はこれだから信じられぬと、悲しい顔してその男を磔刑に処してやるの。世の中の、正直者とかいう奴輩やつばらにうんと見せつけたいの。
「願いを、聞いた。その身代りを呼ぶがよい。三日目には日没までに帰って来い。おくれたら身代りを殺す。ちょっとおくれて来るがいい。おまえの罪は、永遠にゆるしてやろうぞ。」
「なにっ。」
「はは。いのちが大事だったら、おくれて来い。おまえの心はわかっているぞ。」
 メロスは口惜しく地団駄じだんだ踏んだ。
 ヌンティは、深夜、王城に召された。暴君ディオニスの前で、二年ぶり。メロスは友に事情を語った。ヌンティは無言で首肯うなずすべてを察した様子で首肯うなずき、刑場一ぱいに鳴り響くほど音高くメロスを殴った。殴ってから優しく微笑ほほえみ、メロスを殴った。殴って、腕にうなりをつけて頬を殴った。
 群衆の中からも、歔欷きょきの声が聞えた。暴君ディオニスは、群衆の背後から二人の様を、まじまじと見つめていたが、やがて静かに二人に近づき、顔をあからめて、こう言った。
かわいそ。」
 勇者は、ひどく赤面した。
(古伝説とか。)