丸日記

丸海てらむの日記です

背骨

バックボーンというとちゃんとしてる感じがするが背骨と言うと急になんか全然そんな感じがしなくなる。

 

自分は家を出て両親から離れて、いわゆる親や親戚の老後をどうするか問題からはもう逃れられているし、結婚を急かされることも、変な仕事をしてうるさく言われることもない。自由と言えば自由である。

 

で心細さもある。他のだいたいの人には両親がいて親戚がいて、困ったときに助けてくれるようになっているし、だいたいいつでも話を聞いてもらえるようになっていると思う。迷ったときには意見をくれて、いつでも味方になってくれる人が少なくとも世界に二人いることが保証されている、という人が多いと思う。

そうでない家もある。うちのように。仮にあのまま家にいたとしても、あの二人はむしろ自分の人生に害をなすほうが大きかったろうと思うので、出たこと自体は正しかったと思っている。

 

ときどき自分の性格に頼りなさを感じる。迷ったとき、困ったときに、何が正しいか全然わからなくなったときに、帰っていく場所がない。昔はあったのだ。まだ両親を信じていたころは、彼らの言葉や、読んだ本とかを頼りにしていた。誰かと意見が違えることがあっても、そこへ戻って来たり、それを元に考え直したりしていた。それがあるとき崩れ去って、今まで信じていたものはほとんど一つも正しくない、僕よりこの家より世間のみんなのほうがよっぽど優しくて、正しくて、まともに生きてるんだと思った。

正義とは何か。自分の利益と公共の福祉の公約数のようなものだと思う。

自分の信じていた世界は崩れて、そこから長い時間をかけて、僕は物理的に家を抜け出し、いま少しずつ普通の世間の人の仲間入りをしている。人と話したり、遊んだり、話を聞いたり、聴いてもらったり。

 

迷ったとき、自分の心の内を見てみると、父の言葉や母の言葉や、読めと言われた本の言葉が残っている。それはほとんど僕を苦しめるばかりの前時代的な言葉で、例えば死ぬ気でやれとか、中途半端にやるなとか、一番になることを目指せ、負け組になるなとか、ちゃんとしろとか、好き勝手するな、遊ぶな、ちゃんとやれ、真面目にやれ、言うことを聞け、自分のことばかり考えるな、とかそんなような言葉が残っている。これらはもう今の時代ひとつも役に立たない。僕が生きていく上でむしろ邪魔になるようなものばかりである。僕が迷って何か頼るものを探すとき、最初に胸の内から出てくる正直な言葉が、こんなのばっかなのである。それで、もうちょっと優しい家庭で育った人たちのことが羨ましくなるし、僕もそうなれないかと思ったりする。

生まれを変えることはできない。こんな境遇の人は他にもいるだろう。これはこれとしてたぶんなんとかやっていくのだ。少しずつ忘れて、少しずつ自分を許して、ああいう厳しい言葉がなくても他の人たちとうまく付き合っていけるようになるはずだ。いずれ。

 

どれだけ厳格に真面目に他人のために生きようと努めてみたところで、結局我々は一個の動物で、下賤な欲求やら快楽やらを抑え込むことはできないと思う。抑え込んだところで別のところから昇華して噴き出してくる。これを完全にコントロールすることはできないしやるべきでもない。というか真面目に厳格にちゃんと生きてみたところで、何かいいことがあるんだろうか。あの厳しい両親のような人たちに怒られずに済むかもしれないっていうだけだ。

 

どう生きればいいか、何をしてはいけないか。自分の欲求と公共の福祉との妥協点を探す。後者はどうやって決めればいい。面倒な人たちからは逃げるとして、そうでなく付き合っていきたいまともな人たちに怒られないようにすればいいのではないかと思った。結局人の顔色を見ることにはなる。ただ面倒な人から逃れて、比較的寛大な人たちにだけ許してもらえれば良しとする。

 

何書いてるかわかんないかもしれないけどこれはただの日記なので良しだ。要するに、バランスが大事なのだ。自分を全部犠牲にして他人のために尽くすっていうのはとてもできない、でもほんとに自分勝手に生きていては誰とも仲良くなれない。仲良くなりたい人たちのルールを守る、その範囲で好き勝手生きる。では何がルールか、どこまでが自由でどこからが公共の福祉を害するか。それはもう一つ一つ話し合ってやってみるしかない。

 

というか、下賤な欲求や快楽と書いてみたが、例えばたくさん眠りたいとか、美味しいものを食べたいとか、友達と遊んで阿保みたいに笑っていたいとか、みんなが面白いって言ってるゲームを自分もやりたいとか、みんなが聴いてる音楽を自分も聞いてみたいとか、自分の話を聞いてほしいとか、誰かと抱き合いたいとか、そういう気持ちこそ一番大事なんじゃないですか。そういう単純な時間のために人生は存在してるんじゃないですか。

 

まだ23なのでギリギリ精神に可塑性が残っているはずである。こう忘れちゃいけないものを今のうちに胸の奥から全部掘り返しておきたい。