サカナクションの新アルバムが出た
サカナクションの新アルバム、「アダプト」が出た。
うちにはCDプレイヤーもないので買っても聞けないが、今の時代はサブスクで聞けてしまう。しかもspotifyなら広告付きで音質悪めでよければ無料で聞けてしまう。いいのか? いいのかわからないがさっそく聴いた。あとyoutubeのMVも見た。こっちは特に罪悪感もない。
今回のアルバムの中で「月の椀」が一番気に入っている。音数が少なくゆったりしていて聞きやすい。
最近のサカナクションはどうも吹っ切れた感じがしていて、気楽に聞けて良い。
初期のシンシロ三部作あたりは一番サカナクションっぽさがあって、その後documentalyから急に鬱屈とした感じになっていく。「さよならはエモーション」「蓮の花」「グッドバイ」あたりは悲痛すぎて自分も聞くのが少し苦しかったりしたけど、「新宝島」「聴きたかったダンスミュージック、リキッドルームに」あたりから明るくなり始めて、最後は「SORATO」に少し影を感じるくらいで、アルバム「834.194」からは完全に今の爽やかな作風になっている。
そういえばサカナクションがアルバム「sakanaction」を出したのが2013年3月で、そこから次のアルバム「834.194」が出たのは2019年6月である。6年3か月かかっている。その後今回の「アダプト」が出たのが2022年3月。2年9か月で出た。早かったなと思ったけどそんなに早くもないかもしれない。三年も待ってたような気がしない。ちなみに「sakanaction」から6年沈黙するまでは、初期アルバムからそこまでずっと1年未満~1年半のペースで新アルバムを出し続けていたらしい。やばすぎる。
新アルバム聞くついでにインタビューとかないかとちょっと探して見た。どういう考えで作ったのか山口さん本人の言葉を聞きたい。で見つけて読んでいた。
文中、こんな言葉があった。
「自分とかけ離れた人の気持ちは書けないけど、サカナクションの音楽を好きでいてくれる人の気持ちなら書ける。吹っ切れた分、自分らしく音楽と向き合えるようになりました」
そんな悩みが存在しうるのか。「グッドバイ」なんかはそういえばそうかもしれない。「僕には見ることができないありふれた幸せいくつあるだろう」「僕には見ることができないありふれた別れもいくつあるだろう」という歌詞があった。
自分はたぶん、山口さんから「かけ離れた」人間ではないなと思う。たぶん同じように不器用だったり考え込む性格だったり、暗いところがあったりで、サカナクションが好きな人間の典型だと思う。なので「自分とかけ離れた人の気持ちは書けないけど」と読んで一瞬、「別に書けなくてもいいよ、自分にはずっと刺さってるから」と思った。
考えてみれば、自分にとってのサカナクションの評価は自分が聞いて良い曲だったかだけである。周りの友人があんまりハマってなくても、全然わかんねえって人がいても、例え山口さんがそれを少しだけ気にかけていたとしても、自分にとっては一番好きなバンドであることに違いない。自分にとっては他のどの音楽よりも価値がある。で、たぶん同じ気持ちのファンが相当数いる。
これが芸術の理想的な在り方なのかもなとちょっと思った。世界全員からほんのり好かれるとかよりも、数は少なくても好きになってくれるファンがいれば良いのではと。全員にとってあってもなくても大差ないようなものより、誰かにとって本当に意味のあるものを作るほうが大事なんじゃないかと。
なんかうまく言えないがそんなことをちょっと思った。寝て起きたらもう少し整理できているかもしれない。
人生もそんなようなことを最近思っている。1000人の知り合いがいるより1人の親友がいるほうが価値がある。幸いにもそんなような人生を送っている気はする。気づけば。
物心ついたあたりでなるべくたくさんの人に好かれようと努力するようになり、ある程度うまくいったが数年前に疲れてやめてしまった。今思えばそんなに悪いことでもないのかもしれない。顔見知りや名前を知っているだけの人より、自分を知ってくれて気にかけてくれる人や、何なら自分自身のことを大事にしなければならないなと思う。思うがあんまりうまくいってはいない。
何を書きたいかわからなくなってきた。
最後にアルバムのリンクを貼っておきます。
あとMVも。