丸日記

丸海てらむの日記です

先の見えない人生計画など

アンダーテール熱が高まっている今日このごろ。スマブラとかスプラトゥーンとかの対戦ゲームを控えてもうちょっと精神衛生に良いゲームをやろうという気分。実際気が楽になってきている気もする。

 

最近noteでアンダーテールのプレイ日記を書いている。今日も書こうと思ったが、冒頭の自分語りが伸びに伸びてこれはこれでひとつの日記みたいになってしまったので、切り取って別の記事にした次第。中身は大したこと書いてないです、個人的な備忘録として一応残しておく。こんなことを考えていた自分がこの日いたんだよと未来の自分に向けて。

 

 

 

最近どうも自分の生活に対して無自覚的になってしまったなと思う。無意識のうちに習慣だけでその日その日を生きていて、今日何をするんだか昨日何をしたかあんまり覚えてない。目下やるべきことをやり、気づいたらすごい日数が経っている。こうして時間が過ぎるのがどんどん早くなって、そのうち30歳や40歳になっているのかと思うとちょっと怖くなった。昔はもうちょっと毎日を大事に生きていられた気がする。

どうして変わってしまったのか、それは文章を書く機会が減ったせいじゃないかと仮説を立てて見る。文章を書いて思ったことを言語化して、初めて意識的に生活を考えることができるのではなかろうか。
作業をするとき独り言を言う人のほうがミスが少なくて実は良いんですみたいな研究記事を最近見た。それを拡大解釈して、人生においても日記をよく書く人のほうがなんか良い感じに生きられるのではないかと思って見たりする。自分が自分だけのために言葉を紡ぐ時間が、毎日あっても良いのではないか。特に大人になると仕事や何やらで自分の好きでもない人と話さねばならない機会が増えて、社会人やら部下やら上司やらの役割を演じることを求められる。放っておくとそんな時間で人生が埋め尽くされて、自分で自分を大事にすることを忘れてしまうのではないか。自分が昔感じていた、大人になることへの恐怖、いつか人間ではないものになってしまうのではという恐れは、これがその正体なのではなかろうか。人に求められる役割を演じるだけじゃなくて、ちゃんと自分のために自分の人生を生きるということが必要なのではなかろうか。

なんていうか人からの評価だけじゃなく自分が主体性を持って生きるというか。人を喜ばせてお礼を言われたり好かれたりしたいってだけじゃなく、自分自身が喜びたいし苦しみたくないっていう気持ちがけっこう大事なのではないか。

そんなわけで文章は書き続けたほうが良いような気がしている。あと私的な友人と遊んだり話したりすることも。

人生、ずっと何して生きていけばわからないでいる。文章を書くべきか、そこそこ強くなったゲームの腕前を磨いて一番を目指すべきか、普通に仕事をすべきか、動画を作ればいいのか、小説を一回くらいデカい賞に応募すべきか、筋トレとかやったほうがいいのか、いま眼鏡なんだけどコンタクトとか買ったほうがいいのか、人生何もわからない。
自分がやりたいことをやればいいよ、と言われそうだ。実際何をやりたいんだろう。何もしたくないかもしれない。ただ安心して眠っていられれば。うまいものを食えて人と話せて、毎日ぐっすり眠れる保証があれば、それで十分かもしれない。なんかこんなようなことを定期的に言っている気がする。

生涯を通してやるべきライフワークみたいなのを探してたけど、こんな若いうちに決まるとも限らないのかもしれない。その日その日でやりたいと思うことをやっていこう。「これだけ頑張ったんだから、残りの人生はこの努力の貯金で一生遊んで何も考えず暮らせるな」って日はたぶん永遠に来ない。毎日ちょっとずつ努力したり考えたり何かを変える必要があるんだと思う。逆に言えば先に無理してもしょうがないということでもあると思う。そんな感じで生きていこうかしら。