丸日記

丸海てらむの日記です

小説に好き嫌いはあるか

久しぶりに本を借りてきた。四冊。本を読むのは昔からあまり好きではない。ただ文章を書くのが上手くなりたかったので、お手本にするためによく読んでいた。特に100年前とか50年前くらいの、日本に文芸が起こって一大娯楽だったころの時代の作品をよく読んでいた。

 

昔の小説は良いが最近の小説は良くない、という考えがずっとある。自分で読んでみてそう思ったのか、厳格な父に育てられたからなんか原理主義者みたいになってしまったのか、理由はわからないが、今でもその考え方がある。文芸部にいて毎週小説を書いているのに流行りの小説をほとんど知らない。図書室で手に取るのは背表紙が茶色く褪せた、教科書に載っていそうな本ばかり、そういう高校生だった。それが好き嫌いによるものなのか、かっこいいと思ってやっていたのか、そうすべきだと思ってやっていたのか、今では見分けがつかない。

 

高校を出てだんだん小説を書かなくなり、従って本を読む機会も全然なくなった。元から書く手本にするために読んでいたので、書かないなら読まなくてもいいんである。普通にゲームをしたりyoutubeを見たりツイッターを見たりする青年になって5年くらい過ごした。

 

最近思い立って、せっかく練習したのに文章を書くのを辞めてしまうのはもったいないなと思い、また書くことにした。それでデスクトップに日記を書いたり、ここへ何か書きに来たりしている。まだ小説を書くには至らない。ただ書いたものを読み返してみて、前より下手になっている気がした。文章が細かくちぎれ過ぎれているようだったり、書き方のパターンが少なくなっているなと思った。今もそう思いながら下手なりに書いている。また文章を書くために、何か読まなければと思った。

 

ここ数年の主な趣味は対戦ゲームだったが、戦うのに疲れたし強くなって意味があるのかどうかと思い始め、ちょっと控えることにした。そして空いた時間に本を読むのはどうかと思い、つい昨日、図書館に行って本を四冊借りてきた。

 

四冊。内訳は、昔から好きな作家の短編集がひとつ、自分が避けてきた最近人気の作家のうち二人の本をそれぞれひとつ、高校生のころ読んでいた古い時代の小説をひとつ。

最初のはもう飽きるほど読んだ作家なだけあって、慣れた文体を二編読んで仄かに満足した。次の二つがいけなかった、人気だからさぞ面白いんだろうと思って読み進めるも、どちらも20ページくらい読んだところで苦痛になってやめてしまった。最後の古い小説は、古いからさぞ読みづらいだろうと覚悟して開いたものの、読んでみたら四冊の中で一番読みやすかった。面白いかどうかとか考える暇もなくて、書いてあることに興味を惹かれて、30ページくらい読み進めてまだ全く足りない。特に冒頭10ページくらいの文体が綺麗で、書いてある内容にというより書き方に感動してしまった。

 

要するに、面白い小説というものはある。小説には良し悪しがある。特に、自分にとって。世間で人気かどうか以前に、自分には好き嫌いがあって、自分から見て良いなと思う小説とそうではない小説がちゃんと区別される。

これで初めて、小説をまた書けるかもしれないと思った。こういうものを目指せば良いんだと思った。人に好かれそうなものを書くというのはたぶんできない。自分が良いと思うもの、自分が憧れているものしか、手本にすることはできない。

誰の本かは言わないが、この古い小説は厚さがさっきの二冊の半分くらいしかない。量は問題ではないんだと思った。たぶん自分は、洗練されているものが好きだ。こういうのを目指そうかなとちょっと思った。

 

まだ一冊しか読んでいないどころかその冒頭30ページを読んだだけだけど、まあ、そんなようなことを思った。

 

ところでこの好みがどうやってできたものかはわからない。先天的にそうなのか、実は誰にとってもこれが良い小説であるのか、高校生のころこういう小説をよく読んだせいなのか、父の教育によるものか、それはわからない。

あと、この時代の小説が全部好きとも限らない。今回たまたま、例えば書いている主題が自分の悩みに近いものだったから興味を惹かれた、とかかもしれない。いや、むしろそれは結構大事なことな気がする。小説はたぶん個人的なものを描くのに向いている。人と共有しないからである。作家は一人で書いて読者は一人で読む。読んでどう思ったか誰に知られることもない。文章には人間の顔も姿も息もなくて、言葉や思考だけがある。良い小説の条件はたぶん文章の技術だけじゃなく、主題とか内容も重要なのかもしれない。もしかするとこれこそが。今まで全然考えてなかったが。小説で書くのに向いているテーマというものがたぶんある。

 

どんな複雑なことでも考えて試行錯誤すればだんだん上手くなるもんだと思う。神童ウメハラも話を聞けばちゃんと理論を持って格闘ゲームをやっていて、その裏には仮説を立てては崩してきた過去があったり、無数の反復練習があるんだと実際見た。魔法も才能もなくて、人間らしく考えていくしかないんだろうなと思う。小説もたぶん上達することができる。やる気がある限りちょっと頑張るかもしれない。