深夜の何でもない日記
丸海てらむです。
「人間は、起きると予想したことが実際に起きるだけでちょっと嬉しくなる」みたいな説をどっかで見かけた気がするんですが、探しても探しても見つからないので、見つけた方はご一報ください。
眠れないので日記を書きに来るなど。
ここ数日気分が優れない。優れないというかなんか露骨に落ち込んでいる。
個人的に良くないことがいくつかあったからだろうと思っていたけど、ツイッターのタイムラインなどを見るとなんか他にも体調を崩している人がそこそこいる。気圧とか天気とかでみんなそういう時期だったりするんだろうか。というか気圧でこんなに露骨に体調変わるの、前までオカルトだと思ってたけどどうやら本当らしくてびびってる。すごくないか。
自分の好き嫌いがわかんねえ、って何年か前は困ってた気がするけど、だんだんわかってきた。別に考えて導き出したとかそうではなくて、単に物とか人を見て「これは良いな」「これはやだな」と思ってきたのを並べるように思い出して、好きなものを嫌いなものにそれぞれ共通点を見出す、という形で自分の好みを認識しようとしている。帰納的に。
なんていうか、真面目なものが好きな気がする。長く残るもの。あと控えめな物とか、質素なものというか。うまく言えないが。
あんまり好きじゃないのは、まあ、偉そうな人が嫌いである。嫌いなものあんまり思い浮かばないな。忘れるようにできてるのかもしれない。あと嘘とか演技とかも好きではない。
物事を「正しいか」「正しくないか」で白黒付けて考えるのは認知の歪みであんまりよくないみたいな話を読んだ。歪み、って言ってもほとんど全人類それやってそうな気がする。この言い回しもそうかな?
ここで危険な問題を呈する。「現実」という概念は存在するのかどうか。人は各々違った世界を見ている。誰も本当に客観視して「現実」を見ることはできないのではないか。つまり正しい「現実」なんて存在しないのではないか、世界は本当の意味で我々の見方次第で変わってしまうのではないか。
答え、我々が世界をどう見るかは変えようと思っても変えられるものではない。あとみんな違うって言っても共通するところがけっこうある(リンゴは赤いのは当然である。色弱とか盲目の人はリンゴを目の前にしても赤いとは思わないが、数が少ないのでそっちが特例とされる)。なので、現実という実体があるわけじゃないし見えもしないが、みんなの認識を元にして「これが現実である」というものが勝手に決まっている。そして、それを「元々世界に存在するもの」として考えている。
ということで非常にシンプルな教訓に立ち返る。「人の意見をよく聞こう」。現実をよく見るというのは、一人で目を開くとか長い間考えるとかではなくて、いろんな人の見方を参考にするということである。現実は世界と自分の間にあるんじゃなくて、実は人が勝手に決めている。それで特に問題ないのである。
何書いてるかわかんなくなってきたな。
朝になった。
眠る。