「藪の中」一晩考察
「藪の中」というオインクゲームスのボドゲをやった。めっちゃ面白かった。
そういえば芥川龍之介の小説にそんな話があって元ネタらしいよ、と聞いて読んでみようと思った。青空文庫にあって、案外短くてすぐ読めた。
ボドゲのほうの「藪の中」は、情報が非対称な中で行う推理ゲームという感じで、説明が難しいけどどうも芥川の小説も似たような感じらしい。ある事件をいろんな人物が語るんだけど、どうも話が食い違っている。一体真相はどうなのか、何が本当で誰が嘘を言っているのか、と散々議論されてきたらしい。
自分も気になって考えてみる。結局「藪の中」では何が起きていたのか。誰の言葉のどこまでが本当でどこからが嘘なのか。
真面目にやるなら先行研究とか読まなきゃいけないんだろうけど、めんどいので手持ちの主観だけで書いちゃう。
ちなみに元の小説読んでる前提で書くのでよろしくどうぞ。そんなに長くないのですぐ読めます。
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はしょれメロス
「王様は、人を殺します。」
「なぜ。」
「悪心を抱いている、という。」
「たくさんか。」
「はい、はじめは王様の妹婿さまを。それから、御自身のお
「おい。国王は乱心か。」
「いいえ。人を信ずる事が出来ぬ、と。このごろは、臣下の心をも疑いになり、派手な暮しをしている者はひとりずつ十字架にかけられて六人殺されました。」
聞いて、メロスは怒た。「
メロスは単純な男で、のそのそ王城にはいった。たちまち彼は
「この短刀何!」暴君ディオニスは
「市を暴君から救うのだ。」とメロスは答えた。
「おまえがか?」王は
「言うな!」とメロス。「人の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だえ。」
「疑うのが正当の心構えなの。人の心は信じてはならぬ。」暴君は落着いて、「わしだって平和を望んでいるの。」
「なんの為の平和だの。」こんどはメロスが笑った。「罪の無い人を殺して、何が平和だ。」
「だまれ、
「ああ、王は
「ばかな。」と暴君は笑った。「とんでもないわい。逃がした小鳥が帰って来るか。」
「そうです。」メロスは必死で言った。「三日間だけ許して。妹が私を待っているの。そんなになら、よろしい、この市にヌンティという石工がいます。私の友人だ。あれを置いて行こう。私が逃げてしまったら、あの友人を殺して下さいたのむ。」
それを聞いて王は
「願いを、聞いた。その身代りを呼ぶがよい。三日目には日没までに帰って来い。おくれたら身代りを殺す。ちょっとおくれて来るがいい。おまえの罪は、永遠にゆるしてやろうぞ。」
「なにっ。」
「はは。いのちが大事だったら、おくれて来い。おまえの心はわかっているぞ。」
メロスは口惜しく
ヌンティは、深夜、王城に召された。暴君ディオニスの前で、二年ぶり。メロスは友に事情を語った。ヌンティは無言で
群衆の中からも、
「かわいそ。」
勇者は、ひどく赤面した。
スプラ2の思い出 ~マルチミサイルは本当はいつから最強だったのか~
丸海てらむです。
マルミサ大好き丸海さん、ということでこの名前になっております。
イカトドンでアドベントカレンダーをやるということで記事を書いております。知らぬ間にめっちゃ長い記事になってしまい、ほんとはもうちょっと雑にゆるく書く企画なんだろうな……と思いつつ、まあこういうのもあっていいのではと。許して。
まず前書きなど。自分の大好きなマルチミサイルはスプラ2の後期には一強SPと言えるほどの活躍ぶりで、ガチでやるなら1枚か2枚は必須という評価だったらしく、実際強くて特にエリアなんかは一回も撃ち合いをやらずに塗りとミサイルだけでXP2400くらいまで戦えるくらいだった。
自分は撃ち合いが下手で、当時B帯の人にも撃ち負けるくらい本当に弱かったのに、たくさん塗るのと逃げて生き残るのが上手いというだけでマルミサの力でXP2588になったことすらある。そんくらい強いSPだった。前作やってた人には懐かしい思い出、もしくはローラーなど前線ブキの人とかからしたら悪夢の記憶である。
3になるとラクトという異常な塗り性能のブキに付き、マルミサの性能は据え置きだったのでやっぱり強く、一瞬で環境に蔓延し、そして発売半年後にナーフされた。マルミサのナーフが2022/11/30で、そのアプデで同時にXマッチが追加、そして半年後にスプラ3での初甲子園が行われたので、せっかくラクトという最高の相棒を得て全盛期を迎えたマルミサも、その力を振るうことができたのはバンカラマッチとレギュラーマッチ、あとプラベだけになってしまった。
とはいえ現在もけっこう強いようで、甲子園ではラクトが普通に採用されている。どんだけ強えんだ。最強ぶっ壊れSPだったのがまあ強いSPだよねくらいに評価が落ちたような気がする。
という感じでマルミサといえば強SPという感じだけど、2からやってた人からすると実はちょっと変な感じもする。初期のころはずっと評価が低かったのだ。
スプラ2におけるSPの評価を思い出すと、まずアーマーが騒がれてナーフされ、ジェッパが暴れまわってガンダムオンラインになるとこれもナーフされスペ性必須になり、イカスフィアで金モデ4枚編成が甲子園で優勝するとナーフされ範囲が狭まり、ハイプレが弱すぎるので衝撃波をつけたら強すぎたのでナーフされ、バブル即割りが開発されて1個目2個目がナーフされ、とむしろ他SPのほうが散々いろいろやってきている。マルミサが評価されたのは一番最後である。
マルミサといえば弱SPで、使ってもキル取れないし硬直もある、デュアルといえばデュアカス(スプボム/アメフラシ)は強いけど無印(ポイセン/マルミサ)はサブスペどっちも弱くてこれ使うの舐めプだよねくらいの評価だった。それが他SPがじわじわ弱体化され、マルミサ自身もじわじわ強化され、最後の最後で初めて強SPの地位に辿り着いたのだ。そういう歴史がある。
ここで疑問に思う。マルミサはいつから強かったのか。
マルミサが流行りだしたころのことを思い出すと、何か決定的なアプデがあってそれを境に流行りだした、というものではなかったように思う。
ここにスプラ2の環境の変遷をまとめてくれたwikiの記事がある。すごい。
ブキの流行変遷 - Splatoon2 - スプラトゥーン2 攻略&検証 Wiki*
時期ごとに、この時期はこれが強かったといろいろ書いてあるが、マルミサが強かったと書いてあるのは一番最後の環境である。ver5,5.0、2021/9/29のアップデート以降に流行り始めたらしい。
ところがこのver5.5.0のアップデートを見ると、内訳はこうである。
【スプラトゥーン2】Ver.5.5.0以前の更新データの内容
当時黒ZAPが流行っていたので、対抗馬としてスシや52など短射程の強化、リッターやデュアカスのSPポイント微増加、あとバグ取りなど。マルミサに調整は入っていないところか、他SPもいじられていないし、代表的なマルミサブキであるジェット無印も無調整である。このアプデをきっかけにマルミサが最強になった、というわけではなさそうだ。
つまりこれより前のアプデで、実はゲーム的にはマルミサが最強になっていたのだ。そしてみんながそれに気づいて流行り始めるまでだいぶタイムラグがある。
ということで、マルミサがいつから最強だったのかちょっと調べてみたいなと思う。アプデをちまちま見返していくぞ。本題に入るまでめちゃくちゃかかってしまった。
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久しぶりに小説を書いた
2時間半で5200字。速いほうだろうか。速さとか量は面白さにそんなに関係ないんだけど、定量的に測れるのがここくらいしかないので毎回気にしてしまう。そして速くたくさん書けるようになっているのでちょっと嬉しい。速いほど練習の効率が上がって良いという説もある。
自分が昔書いた小説を読み返したら、2時間で2700字だった。あのときより倍早い。内容も良くなっている、と思う。たぶん。
ダラダラ書けばいくらでも速くたくさん書けそうだけど、最近はちょっと密度を大事にというか、読む手間をかけるほどでもないようなものは書かないでいよう、みたいな気持ちがちょっとある。小説に関しては。今回だけかもしれないし、普段の日記とかは全然何も考えず書き散らかしていく。
さてこんなのを書いた。
久しぶりに何かを書いた。
どうだろう。
しばらく経ったらまた自分で読み返してみたい。
書き始めたときだいたいどんな話にするか決めたはずなんだけど、
いざ書いてみると一度決めたはずの結末が受け入れられなくなって、
ちょっと変えてしまった。でもこっちのほうが良かったなと思う。
面白いかどうか全然わからない。昔は書いた後は恍惚として「天才的なものを書いてしまった……」って毎回思ってた気がするけど、今はなんかそういう気分ではない。
眠くなってきた。
軽く散歩して朝日を浴びてから眠る。
また後日。
小説に好き嫌いはあるか
久しぶりに本を借りてきた。四冊。本を読むのは昔からあまり好きではない。ただ文章を書くのが上手くなりたかったので、お手本にするためによく読んでいた。特に100年前とか50年前くらいの、日本に文芸が起こって一大娯楽だったころの時代の作品をよく読んでいた。
昔の小説は良いが最近の小説は良くない、という考えがずっとある。自分で読んでみてそう思ったのか、厳格な父に育てられたからなんか原理主義者みたいになってしまったのか、理由はわからないが、今でもその考え方がある。文芸部にいて毎週小説を書いているのに流行りの小説をほとんど知らない。図書室で手に取るのは背表紙が茶色く褪せた、教科書に載っていそうな本ばかり、そういう高校生だった。それが好き嫌いによるものなのか、かっこいいと思ってやっていたのか、そうすべきだと思ってやっていたのか、今では見分けがつかない。
高校を出てだんだん小説を書かなくなり、従って本を読む機会も全然なくなった。元から書く手本にするために読んでいたので、書かないなら読まなくてもいいんである。普通にゲームをしたりyoutubeを見たりツイッターを見たりする青年になって5年くらい過ごした。
最近思い立って、せっかく練習したのに文章を書くのを辞めてしまうのはもったいないなと思い、また書くことにした。それでデスクトップに日記を書いたり、ここへ何か書きに来たりしている。まだ小説を書くには至らない。ただ書いたものを読み返してみて、前より下手になっている気がした。文章が細かくちぎれ過ぎれているようだったり、書き方のパターンが少なくなっているなと思った。今もそう思いながら下手なりに書いている。また文章を書くために、何か読まなければと思った。
ここ数年の主な趣味は対戦ゲームだったが、戦うのに疲れたし強くなって意味があるのかどうかと思い始め、ちょっと控えることにした。そして空いた時間に本を読むのはどうかと思い、つい昨日、図書館に行って本を四冊借りてきた。
四冊。内訳は、昔から好きな作家の短編集がひとつ、自分が避けてきた最近人気の作家のうち二人の本をそれぞれひとつ、高校生のころ読んでいた古い時代の小説をひとつ。
最初のはもう飽きるほど読んだ作家なだけあって、慣れた文体を二編読んで仄かに満足した。次の二つがいけなかった、人気だからさぞ面白いんだろうと思って読み進めるも、どちらも20ページくらい読んだところで苦痛になってやめてしまった。最後の古い小説は、古いからさぞ読みづらいだろうと覚悟して開いたものの、読んでみたら四冊の中で一番読みやすかった。面白いかどうかとか考える暇もなくて、書いてあることに興味を惹かれて、30ページくらい読み進めてまだ全く足りない。特に冒頭10ページくらいの文体が綺麗で、書いてある内容にというより書き方に感動してしまった。
要するに、面白い小説というものはある。小説には良し悪しがある。特に、自分にとって。世間で人気かどうか以前に、自分には好き嫌いがあって、自分から見て良いなと思う小説とそうではない小説がちゃんと区別される。
これで初めて、小説をまた書けるかもしれないと思った。こういうものを目指せば良いんだと思った。人に好かれそうなものを書くというのはたぶんできない。自分が良いと思うもの、自分が憧れているものしか、手本にすることはできない。
誰の本かは言わないが、この古い小説は厚さがさっきの二冊の半分くらいしかない。量は問題ではないんだと思った。たぶん自分は、洗練されているものが好きだ。こういうのを目指そうかなとちょっと思った。
まだ一冊しか読んでいないどころかその冒頭30ページを読んだだけだけど、まあ、そんなようなことを思った。
ところでこの好みがどうやってできたものかはわからない。先天的にそうなのか、実は誰にとってもこれが良い小説であるのか、高校生のころこういう小説をよく読んだせいなのか、父の教育によるものか、それはわからない。
あと、この時代の小説が全部好きとも限らない。今回たまたま、例えば書いている主題が自分の悩みに近いものだったから興味を惹かれた、とかかもしれない。いや、むしろそれは結構大事なことな気がする。小説はたぶん個人的なものを描くのに向いている。人と共有しないからである。作家は一人で書いて読者は一人で読む。読んでどう思ったか誰に知られることもない。文章には人間の顔も姿も息もなくて、言葉や思考だけがある。良い小説の条件はたぶん文章の技術だけじゃなく、主題とか内容も重要なのかもしれない。もしかするとこれこそが。今まで全然考えてなかったが。小説で書くのに向いているテーマというものがたぶんある。
どんな複雑なことでも考えて試行錯誤すればだんだん上手くなるもんだと思う。神童ウメハラも話を聞けばちゃんと理論を持って格闘ゲームをやっていて、その裏には仮説を立てては崩してきた過去があったり、無数の反復練習があるんだと実際見た。魔法も才能もなくて、人間らしく考えていくしかないんだろうなと思う。小説もたぶん上達することができる。やる気がある限りちょっと頑張るかもしれない。